出産予定日当日〜陣痛で目覚めてそのまま入院②〜

妊娠

こんにちは、だいこです。

出産予定日の早朝6時に陣痛で目が覚めて、10時間半自宅で耐えた私。それを側で見守る夫。

その後、出産予定の旗の台駅にある昭和大学病院に入院した際のお話をします。

陣痛が10分間隔になって、それが1時間以上続いたら病院に電話するように教わってたけど、

そんなに綺麗にくるものなのかしら。

私は5〜15分間隔で定まらない陣痛が続き、最終的には激痛に襲われて、不安になり病院に電話した。

陣痛が収まったタイミングで病院に電話をかけると、

「はーい!どうされましたかー?」と、とても明るく、優しく、ゆっくりとした声で女性が応対してくれた。

私「あの、今朝6時から陣痛みたいなのがきて、ずーっと家で過ごしてたんですけど…今急に激痛に襲われて…あ、また陣痛来る!ちょっと待ってください!…うううううぅぅ!!!」

電話口の女性「うんうん、大丈夫ですよ。落ち着いてからでいいですよー。。。」

という感じで、とにかく優しく、安心するような話し方で接してくれた。

で、妊娠週数とか、陣痛の間隔とか、色々聞かれて、

「うんうん、いい感じですね♪大丈夫ですよ。順調ですよ。そしたら、今から病院に来られますか?」

と、まさかの陣痛5〜15分間隔で定まらないのに病院に行く話に。

いよいよか!という感じで、出かける準備して、陣痛バッグと入院バッグを持ってタクシーで病院へ。

陣痛タクシー登録してたけど、結局路上で拾って普通に乗った。

私が出産するのは旗の台駅にある昭和大学病院。

今日は日曜日なので、救急窓口入ってすぐ左手のエレベーターで2階に上がり、

エレベーター降りて左後ろにある渡り廊下を通って入院病棟へ。

入院病棟のエレベーターで5階に上がったら、正面の受付に声をかけた。

助産師さんがきてくれて、荷物を全て持ってくれて、

「では、ご主人様はここまでなので、奥様は分娩室に移動しましょう」

という感じで、夫とは入院病棟のエレベーターホールで別れなければならなかった。

急に心細くなったけど、お互いに手を振って、

私「行ってくるね。じゃあね」

夫「頑張ってね」

と声をかけて別れた。

LDR

案内されたのはLDR。

この部屋で陣痛に耐え、出産し、産後数時間を過ごす。

この時はまだ余裕があったので「結構広いですねぇ」なんて呑気に助産師さんに話しかけてた。

荷物を置くと早速、

助産師「こちらの洋服に着替えて、下着をTパンツに履き替えて、こちらのお産パッドをつけて、このストッキングを履いてください。」

と伝えられて、更にいよいよ感が増してきた。

昭和大学病院では、入院の荷物の説明時に「産褥パンツはいらないので、代わりにTパンツを購入して下さい。病院の売店に売ってます」と言われる。

すこやか出産ガイドブックというのは、昭和大学病院で妊婦健診を初めて受ける時に貰える本のこと。

トイレは隣のLDRと共同で、どちらかが使用中はドアが開かない仕組みになっていた。

この時既に着替えるのも大変な位、強い陣痛。

陣痛が来る度、ゆっくり5秒鼻から吸って、ゆっくり8秒口から吐く呼吸法でイキミ逃し。

ベッドに横たわり、まずは30分モニター。

陣痛に耐えながら30分動いちゃ行けないのが地味に大変だったなぁ。

モニターの結果、助産師さんに

「まだね、陣痛が弱いんですよ。こんなもんじゃないんですよねぇ。今夜一晩様子見て、明日の朝7時に医師が診断しますから、場合によってはいったん帰ってもらう事になるかもしれません」

と言われた。

内心「え。明日の朝まで様子見⁈」と驚きと落胆を隠せない。

夕食

夕方17時頃入院したので、18時の夕食が食べられた。

味は…小学校の給食風。温かいご飯が食べられるだけでありがたい。

続きます…

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